〜熊野市よりお知らせです〜

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●「紀和の火まつり」

(日時)
8/6(土)18:00〜 ※雨天順延

(場所)
入鹿温泉ホテル瀞流荘前河原
熊野市紀和町小川口

主催:紀和の火祭り実行委員会
後援:熊野市、熊野商工会議所、(財)紀和町ふるさと公社


 「北山砲」の再現発射や、山々に響き渡る2000発以上の花火の打ち上げなど、様々な内容が組み込まれたイベント。
祭りのメインとなる「柱まつり」は、あらゆる災害を松明とともに夜空に放つことで、筏流しの筏師たちの安全祈願や、五穀豊穣と川漁・堰漁の大漁成就、無病息災などを願って、遠い昔から熊野川水系で行われてきたと言われる。

 柱まつりは昭和30年代までは、各地で行われていたが、戦後の高度経済成長期に入り、若者の都会への流出などで地域の高齢化が進むに伴い、徐々に姿消していった。
 しかし、昭和40年代に入ると地元の若者の間で「柱まつり」復活の機運が高まり、ついには「入鹿柱まつり保存会」結成され、「柱まつり」が復活した。さらに、地元の1行事となった「柱まつり」を集客イベントにしようと、入鹿柱まつり保存会と地元商工会青年部が協力し、平成元年から「紀和の火祭り」として開催している。


●見どころ
会場が山間地にあるため、大きな花火を打ち上げることはできないが、花火の轟音が山々に響き渡るため迫力がある。特にフィナーレのナイヤガラは川沿い200mで行われ、水面に映し出される光景はとても幻想的である。

●柱まつり
紐でくくった松明に火を灯し、燃え尽きないように回転させながら、高さ20m程度に吊られた竹籠めがけて投げ入れる勇壮な行事。松明はなかなか竹籠に入るものでななく、他の松明が飛んでくるため、落ちた自分の松明を拾いにいくのも非常に勇気が必要である。闇にゆらめく松明の明かりと太鼓の響きが幻想的な雰囲気を誘います。

●北山砲
今から百三十年前の幕末、長州藩士たちが紀和町近隣の十津川郷士たちを巻き込み、天誅組と称して大和郡山で幕府への反乱を起こした。紀和町小川口の村では戦い破れて南下してくる天誅組に備えて、北山川の河原に多く生えていた松の木をくりぬき、竹を巻いて大砲を造った。しかし天誅組がこの地域に侵入することはなく、この松の木の大砲は発射されることなく、河原で朽ち果てたといわれている。